カツ丼店「味司 野村」
店主 野村さん
Q.1
当店は昭和6年(1931)の創業です。もともとはこの場所の向かいにあって、定食などを出す食堂だったんですよ。
デミカツ丼の誕生については諸説ありまして…。初代が東京の帝国ホテルの方にドミグラスソースの作り方を教えてもらい、岡山に帰ってそれを白いご飯と合わせたいと考えて、試行錯誤して創り上げたものだと伝わっています。また、いまは新鮮な油を使っていますけれど、揚げ油の再利用からできたという説もあります。食堂でしたので揚げ物メニューも提供していたのですが、創業の頃は食用油がとても貴重だったんですよ。ですから揚げ油に使っただけでそのまま捨てるのはちょっと勿体ないんじゃなかと、小麦粉などと練ってスープや調味料などと合わせて苦心して生みだしたということです。何せ90年以上も昔のことなので、はっきりとしたことはちょっとわからないんですよ。
カツ丼専門になったのは、私の父の三代目の頃からです。うちのソースは「一子相伝」、12時間かけて仕込むここでしか味わえないものです。独特なものなので、どんな味かを言葉で説明するのがとても難しくて…。ですからぜひ一度お召し上がりいただきたいですね。
デミカツ丼の発祥の店はここですが、岡山ではいろいろなお店が味を競い合っています。僕自身はデミカツ丼が岡山の名物としてより定着し、もっと広がればいいなと思っています。
Q.2
お客様はみなさまとても本当に温かい方ばかりです。観光がてらに来られるお客様も多いですが、テイクアウトもやっていますので、地元の人たちにも広くご愛顧いただいています。何十年ぶりに召し上がられたお客様から「味が変わらずに美味しいです」と言っていただくこともあります。実は少しずつ進化しているんですけれど、そう言っていただけるのはうちのソースがそれだけ独特のものだからなのかもしれません。最近はSNSをご覧になって来られる方が多いように感じますね。
Q.3
ずっとこの街に住んでいますが、アクセスに不便を感じたことがなく、交通の便が良いのは魅力ですよね。新幹線も停まるし、市電も走っていますし。そして、昔に比べたら「さんすて岡山」や「イオンモール岡山」がオープンして、駅のまわりはかなり便利になりましたよね。
休日に周辺を歩いていると、気づかないうちに新しいお店ができていたり、新たな発見も多くあって楽しいです。また、岡山人は新しいものに食いつきやすいので、新しくできたスポットは賑わうんですよ。ですからいつもどこかに新しいお店がオープンし、この街に新しい活気が生まれているような印象です。
Q.4
生活面では「イオンモール岡山」ですよね。イオンへ行けばだいたい事足ります。あと、駅前にはいい飲み屋さんがいっぱいあります。
でも、岡山駅前は昔からのお店が結構なくなっているんですよね。子どもの頃の思い出の地が、今はもうないんですよ。それだけ再開発がおこなわれてきたということなのでしょうね。駅周辺は本当に変わったなと思います。
Q.5
一市民としては、新しい街がデビューするのはとてもワクワクします。タワーマンションができるということは人が増えるということですし、うちは商売をやっていますので大歓迎ですね。
個人的には、若者が歩きやすい街になるといいですよね。意外と、子どもや若い人が遊べる施設があまりないのですよ。「さんすて岡山」や「イオンモール岡山」に次ぐ新しい施設ができて選択の幅が広がるといいですよね。
このところ円安の影響でしょうか、海外からのお客様が多いんですよ。ですから外国人が動きやすいような仕掛けができればなと。外国人旅行客は、地元民では気付かないことにも関心を示すんです。例えばマンホール。桃太郎の図柄になっているんですけれど、珍しいのでしょうか、外国人観光客がよくスマホで撮っているんですよ。いろいろな部分で岡山色を押し出していけば、外国人を含め観光で来られた方々により楽しんでもらえるのではないでしょうか。
profile
味司 野村
野村 大希さん
岡山県岡山市出身。
愛され続けて92年の老舗かつ丼店の4代目店主。父である3代目が病に倒れ、21歳という若さで後を継ぐ。
一子相伝の秘伝のソースを、以降16年間守り続けている。